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プロゴルファを目指した日々(中編②)

折れたシャフトを修理して、大いに反省をし、気持ち新たに練習に励みましたが、そのクラブがどうもシックリきませんでした。

重量・トルク・キックポイントと、前とほぼ同じ仕様のシャフトに付け替えましたが、同じスイングで打っても全然違う球筋になってしまったのです。

それをスイングで修正しようとした結果、ジョ‐からも評価されるようになったスイングが崩れて始めてしまいました…。

ジョ‐のレッスンを何度受けてもなかなか良くなる兆しが見えず、絶不調に陥りました。

スコア‐は80台を出すのがやっと。ボ‐ルは曲がり続けました。

でも、練習だけはひたすら続けました。「ショットが悪くても…」と、スコア‐を作るためのショ‐トゲ‐ム(アプロ‐チ、パッティング)をトコトン練習し始めたのもちょうどこの時期でした。

不調は3ヶ月以上続き、気がつけば秋も終わろうとしていました。

「本気」でスポ‐ツをやった方ならどなたも経験があるかと思いますが、結果が出ない時に練習をやり続けるというのは本当に辛く、苦しいものです。

いくらやっても下手になっているような気持ちになることさえあります。

アメリカに行ってから「ホ‐ムシック」などにかかる暇さえなかった私ですが、この時期、後にも先にもただ一度だけ、練習場の芝の上にへたり込み、沈んでいく夕日を見ながら「日本はあの方向になるんだなぁ~」と切なくなり、柄にもなく「う~さ~ぎ追~いし…」と口ずさんだことを憶えています。

出口が見つからない迷路を彷徨うような日々は続きましたが、毎晩「明日はきっと…」と希望を抱き続けながら眠りにつきました。

ベッドに横たわり、クラブを握り、グリップ(握り方)を考えているうちに寝てしまったことは一度や二度ではありませんでした。

そんなある夜、夜中に目が覚め、トイレに行ったついでに鏡の前でシャド‐スイングをしていると、「あること」に気がついたのですっ!

早速、翌日の練習で「あること」を試してみると、昨日までとは見違えるほどの球筋でボ‐ルが飛んでいきました。

「これかっ!!」

何かを掴んだ私は、その感覚を体に覚え込ませようと無我夢中でボ‐ルを打ち続けました。

日に日に調子が良くなり、練習し続けたショ‐トゲ‐ムも大きな武器となって、以前よりも平均スコア‐が良くなりました。

それに加え、テニス学部のコ‐チが、「お前は気性が荒いから」と、まだ当時ほとんど耳にしたことが無かった「メンタルタフネス」というメンタルトレ‐ニング法をわざわざゴルフ学部の私に直々に教えてくれました。

学校が休みの日曜日には朝からゴルフ場へ行き、プレ‐する私に付きっ切りで18ホ‐ルを一緒に歩いてくれたのです。

プレ‐をしながら、スイングに入るまでの気持ちの入れ方やミスした後のことだけではなく、歩くリズムや呼吸法など、たくさんのことを教えてくれました。

(そのトレ‐ニングは、今でもゴルフの時だけではなく、様々な場面で本当に役に立っています)

初めてのスランプをなんとか乗り越えられた私は、以前よりもワンランク上のゴルフが出来るようになり、入学当時「16」だったハンディキャップは1年で「5」までレベルアップしたのです。

2年目に入ると試合数も多くなり、自分の力を試す機会が増えたので、一段とゴルフに熱が入りました。

入学した頃は、学内で「中の下」ぐらいの実力でしたが、2年目に入った頃には、学内ト‐メントでも優勝するようになりました。ハンディキャップ5以下のハイレベルな大会に出場するため、学校から3名の代表を決める選考会でもトップで通過しました。

学内で開催される大会では特に良い成績を収めました。

その訳は、「練習量では誰にも負けない」という自負があったからです。

「俺はあれだけ練習したんだ!」という気持ちが、様々なピンチの場面を乗り越えさせてくれました。

 だから、今でも「練習は、上手くなるため半分、自信をつけるため半分」という考え方は変わっていません。

アメリカに行って、一番驚いたことは「世の中にはこんなに金持ちがいるのかっ!」ということでした。

日本にいる時には感じたことが無かったし、そういうことを意識したこともありませんでした。

「親が行けって言ったから…」という理由でアメリカにきた生徒が何人もいたことには心底驚きましたし、毎月ダンボ‐ルで荷物が届き、その中には1個800円もするボ‐ルが何十ダ‐スも入っていたり、見るからに高そうなゴルフウェアが箱いっぱいに入っていたり…。

半年もすると、コルベットやカマロなどの高級スポ‐ツカ‐を中古とはいえ、当時の私には目ん玉が飛び出るくらいの値段で買い揃えた生徒は1や2人ではありません。

仕送りにしても1ヶ月分が私の半年分なんていう生徒もいました。

私の仕送りは月3万円。

寮費や食費、ゴルフのプレ‐代も全て学費に含まれていると聞けば、「十分だろう!」と思われるかもしれませんが、毎日ゴルフをやるので意外と消耗品(ボ‐ル、グロ‐ブ、シュ‐ズ、ウェアなど)でお金がかかってしまったのです。

私の場合、試合の時にしか新しいボ‐ルは使えませんでしたので、普段は傷ついた使い古しのボ‐ルでプレ‐し、グロ‐ブはヨレヨレで穴だらけ、シュ‐ズはつま先がパックリ口を開いても履いていました。

(雨の日は決まって靴下がビショビショ…)

今だから話せますが、「賭けゴルフ」をして、勝ったお金でどうにか冬物のウェアを買ったこともありました。

長期休暇(夏・冬・春)の度に日本に帰国する生徒は結構いましたが、

私は最初から「2年間は日本に帰らない」と決めていましたし、帰るためのお金もありませんでした。

お金の面では惨めな思いをたくさんしましたが、そのおかげで「ゴルフでは絶対に負けない!」という気持ちを強く持つことが出来ました。

そんな日々を過ごし、いつくもの好、不調を繰り返しながら、1年目は1回だけしか出せなかった「60台」のスコア‐も何度か出るようになり、卒業する時にはハンディキャップが「2」まで伸び、ロ‐カルな大会ではありましたが、優勝も3回出来たことは大きな自信に繋がりました。

過ぎてみれば本当にあっという間の2年間でした 。

帰国の準備をしながら、クラブを1本1本丁寧に磨きました。

アメリカ生活が始まった時はあんなにピカピカに輝いていたゴルフクラブが、ソ‐ルはすり減り、フェイス面の溝はほとんど無くなっていました。そのフェイス面を指で撫でながら、「自分なりにやれることはやった!」という満足感は強く、今思い出しても「もっと頑張ってやれば良かった」という気持ちは微塵も湧いてきません。

帰国する日はそれぞれの都合で皆バラバラでした。私はいろいろやることがあったので、ほとんどの生徒を見送った後でした。

1993年4月3日。空港には1つ下の後輩たちがたくさん見送りに来てくれました。

みんなから「日本に帰っても頑張って下さい!」と励ましの言葉を送られると、その言葉と2年間の事を思い出し、みんながドン引きするほど号泣してしまいました…。

離陸後、しばらく経ってからもトイレに入り、思い出しては泣き、思い出しては泣きを繰り返す私を乗せた飛行機は、西へ西へと突き進み、2年振りとなる「日本」へと運び届けてくれたのでした!

ではまた!!


*本当は今月で終わる予定でしたが、思い出すことが多過ぎて語りきれなかったので、来月を「後編」とさせていただき「完結」したいと思います!(汗)


次回更新は5月30日(火)です!

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