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  • 執筆者の写真店長

「プロゴルファ‐を目指した日々」(後編②)

「飛ばすだけのイケイケゴルフか?」と思いましたが、アイアン、アプロ‐チ、パッティング、どれを比べてもまさに「別格」でした。

アイアンショットは横から見るとボ‐ルを捉えてからフォロ‐スル‐までフェ‐ス面にボ‐ルがくっ付いているように見えました。

高校時代、学校をサボって男子プロの試合を観戦したことがありました。

ジャンボ尾崎や中嶋、青木、その当時「大型新人」と注目を集めていた川岸良兼のプレ‐も目の前で見ました。

どの選手も「ゴルフってこんなに簡単なの?」と思わせるほどトッププロたちの技術は見ている者を勘違いさせてしまう凄さがありました。

でもそれは「ロ‐プの外」でギャラリ‐として見ていたのです。

傍から見るのではなく、実際に同じ土俵に上がって勝負すると「凄さ」や「強さ」を痛感します。

これはどのスポ‐ツでも同じだと思います。

圧倒されたまま18ホ‐ルは終了し、大学生は68でトップ通過、私はドライバ‐が安定せず、82で予選落ちしました…。

予選落ちしたことよりも、大学生との違い過ぎる技術の差に大きなショックを受けました。

スコア‐を提出した後、どうしても話がしたかったので、ロビ‐のソファ‐で寛いでいた彼の正面に座って話しかけました。

「今日は有難うございました。勉強になりました。どちらのゴルフ部ですか?」

「日大(日本大学)です」

それを聞いて納得しました。

昔からゴルフをやられている方なら誰もがご存知かと思いますが、その当時の日大ゴルフ部は「日本一」の強さを誇っていました。

倉本昌弘、湯原信光、川岸良兼、丸山茂樹などを輩出したゴルフ王国なのです。

(今でいうと宮里優作や松山英樹などを出した東北福祉大学みたいな感じです)

聞けば、同じ年齢でした。

「じゃあ片山晋呉宮本勝昌といつも一緒にやってるの?」

「いやぁ~同級生だけど俺は補欠組だからあまり一緒にはやれないんだよね…」

「あんなに良いゴルフが出来るのに補欠なの?片山とか宮本ってそんなにスゴいの?」

「あいつらは別格だよ!」

私は言葉を失いました…。

私から見てこの日大生が別格なのに、その日大生から見て二人は更に別格とは…

私は風呂にも入らずゴルフ場を後にしました。

家に帰り、部屋に入ると全身の力が抜けていく不思議な感じがしました。

呆然としながら、しばらく日大生のプレ‐を思い出していました。

当時、私のベストスコア‐はその日の日大生と同じ「68」。でも、技術だけではなく内容も全然違ったのです。

私の68はベストプレ‐、日大生の68は余裕タップリ。ちょっと噛み合えば62ぐらい出せちゃうような感じで、車に例えるなら「軽トラ」と「フェラ‐リ」と言ったところ…。

特に強烈な印象だった2番アイアンのショットを思い出すと、自分のキャディ‐バックから2番アイアン1本だけを取り出し、練習場へ向かいました。

閉店時間までひたすら1本のクラブで打ち続けました。

でも、彼とはあまりにもかけ離れた貧弱な球筋が夜空に弧を描き続け、最後まで笑顔になれるようなボ‐ルは1球も打てませんでした…。

帰り道、ゴルフクラブを握ってから初めて「俺はとんでもない世界に足を踏み入れたのかもしれない…」という恐怖が容赦なく私に襲いかかってきたのです…。

「衝撃の1日」の後も毎日ゴルフ場に通い、練習を続けてはいましたが、それまでとは違い、少しずつモチベ‐ションが下がり始めている自分に気が付きました。

それでもなんとか気持ちを奮い立たせながらの日々が続きました。

ある日、年上の研修生たちと一緒にプレ‐をしていると、ミスショットが続いていた私に「アメリカまで行ってそれかよっ!」と鼻で笑われました。

今日まで「ゴルフ留学」が武器になった場面は数多くありますが、「凶器」になった場面も正直少なくありません。

皆さんも自身や周りの人間に対して経験ありませんか?

「良い大学出てもあれじゃな~」とか「甲子園まで行った人間が今じゃ…」

生きていく上で「武器」になるか「凶器」になるか…  紙一重です。

もし、そんな事を今の私が言われても「行ってねぇ~奴にガタガタ言われる筋合いは無ぇ~よ!」とサラッと言い返せますが、当時の私は、自分の中でもそういう気持ちが芽生え始めていたので、他人から最も言われたくない言葉でした…。

夏の暑さにも負けず、真っ黒に日焼けしながら「夢」だけは諦めずにクラブを振り続けました。あまり「高嶺」ばかりを見過ぎず、他人は気にせず、自分が出来ることをひたすらやり続けました。

しかし、どれだけやっても以前のように「成長」していく実感はなく、「伸び代(のびしろ)」を感じられぬまま、地元新聞社主催の大会「栃木県知事盃ゴルフ選手権」に出場しました。

この大会は一般アマチュア向けでしたが、日本に帰って来てからは試合経験が極端に減ってしまったので「感覚」を取り戻すために出てみました。

予選はトップ通過しましたが、次の準決勝でまさかの敗退…

「プロを目指そうとしている人間が、仕事をしながらのアマチュア大会でこれかよ…」

春に経験した日大生とのゴルフで折れかけそうだった気持ちをなんとかギブスでガッチリ固定しながらやってきましたが、この準決勝敗退で完全に心が折れてしまったのです…。

「2年間あんなにやってきたのに…」

今思えば、アメリカ時代はどれだけ練習してもやり足りない気持ちしかありませんでしたが、日本に帰ってきて、夏ぐらいからは練習をすることが「苦」になっていたと思います。

「タレント(才能)」っていろんな見方があると思います。 

センス、技術、体力、メンタル…。

でも、一番大切なタレントは「練習が苦にならないこと(飽きないこと)」 私はそう思います。

70歳を過ぎてなおレギュラ‐ツア‐に挑み続けるジャンボ尾崎、50歳になってもボ‐ルを蹴り続けるキングカズ、そしてスキージャンプのレジェンド葛西…。

皆、センスや技術、体力やメンタルはもちろんですが、「一番大切な才能」を持ち合わせているからこそだと思います。

完全に心は折れ、ゴルフへの情熱も一気に冷めてしまった私ですが、そのことをすぐ両親に話す事はとても出来ませんでした…。

準決勝敗退した翌日も、普通に早起きをして母が作ってくれた大きなおにぎり2つを袋に入れ、キャディ‐バックを担いで玄関を出ました。

夏ぐらいから譲り受けたオンボロ車に荷物を積むと、いつものように「行ってきますっ!」と作り笑顔で出掛けたのです…。

後編③に続く ↓:[

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