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  • 執筆者の写真店長

No.225 「おままごと」

お元気ですか?

甲子園出場を決めた作新学院野球部への「唐揚げ差し入れ大作戦」は無事成功し、小針監督をはじめ、100名を超える部員全員に「一揚入魂」の唐揚げ(300個)を食べていただくことが出来ました!

甲子園では1日でも長く滞在できるようベストを尽くしてほしいと願っています!!

先日、「Yahooニュース」を見ていたらこんな記事が目に飛び込んできました…

 政府は、サラリーマンなどをやめて起業する人に年間650万円の生活費を最長2年間支給する制度を今年度中に始める。  起業した当初に収入がほとんどなくなってしまう不安をなくし、大企業などに勤務する優秀な技術者や研究者の起業を後押しする。特に将来の市場拡大が見込まれるロボットなど製造業関連での起業を期待している。

私は読み終わって思わず鼻で笑ってしまいました。

「脱サラ」はいわば「不安」との闘いで、「不安なくして脱サラなし!」なのです!

でも、その不安があるからこそ覚悟を決め、「本気」になれるものなのです。

私も15年勤めた会社を辞め、都賀にある本店にお世話になっていた頃は、「自信」と「不安」が毎日入り混じっていました。毎日どころか、1日のうちでも気持ちが何度も入り混じったものです。

普通、マイホームを建てたらローンのこともあるのでおとなしく働くものですが、私は家が建ったと同時に「脱サラ」を決意しました。

何故なら、家を建てるまではローンの借り入れ審査があるので、査定対象となる「勤務年数」というものを重要視したからです。

35年ローンを抱えての「脱サラ」は傍から見ると無謀とも思えたことでしょう。

現に「アイツも終わったな!」とか「あいつはそのうちホームレスになるぞ!」という噂を耳にしたこともありました。

妻には「3年だけやらせてくれ!もしダメだったら生きていくために仕事は選ばず、ドブさらいでもなんでもやるから!」と説得しました。

妻には付き合い始めた頃から「いつかは脱サラして何かをやりたい」と言い続けていたので「その時がきたか!」と一切反対しませんでした。(本心は不安でいっぱいだったと思います)

私が脱サラを決意したのは、決して「収入を増やしたい」とか「自分の思い通りに休みを取りたい」なんて理由ではなく、「生き甲斐」や「やり甲斐」、そして「死ぬ時に自分の人生を後悔したくない」という思いだけでした。

収入に関しては「サラリーマン時代の給料が取れれば大成功!」と思っていましたから…

15年勤務とは言っても中小企業の退職金はさほどではなく、本店に修行へ行っている期間の生活費や店を始めるためのもろもろの経費で全て消え、とても建物や店内の備品を買うお金は残りませんでした。

日本政策金融公庫へ出向き、融資の申請を出しましたが、当時「からあげ専門店」などは前例がなく、担当者は眉間にしわを寄せ、渋い表情をしていました。

最初は「2009年12月オープン」を目標にやっていましたが、出店場所がなかなか決まらず、1ヶ月遅れとなりました。

実を言うと、1月16日のオープン当日にはまだ融資は決定しておらず、言ってみれば「無一文無し」の状態で「からあげ鳥亀 鶴田店」をスタートさせたのです。

しかし、建物や電飾看板、店内備品の全ては各業者との間で「2月10日支払」と契約済み。

予想もしなかった爆発的な「オープンラッシュ」のおかげで融資を受けることなく、なんとか全ての支払いを済ますことが出来ました。

「もし、あのオープンラッシュがなかったらどうなってたんだろう…」

オープン当時を思い出すと今でもゾッとします。

このブログをご覧の方で「脱サラ」を考えている方がいらっしゃるとしても、決して私のようなやり方はオススメしません。≪誰もこんなバカな真似しないか(笑)≫

でも、いくら頭をひねって「事業計画書」なるものを考え抜いたとしても現実はそれとはかけ離れた展開になることが多いものです。(「机上の空論」ってやつですね!)

「世界のアオキ」こと、プロゴルファーの青木 功はプロテストを受けるお金がなく、持ち金全部を競馬の1レースに突っ込み、大穴を当て、そのお金でテストを受け、合格したそうです。

そればっかりでは決して通用しませんが、勝負に出る時は勇気を振り絞って「いちかばちか」も時には必要かもしれません…。

そんな思いからニュースを読んだ時、「2年間の生活費?しかも年間650万円??なんの不安や覚悟もない遊び半分のような脱サラなんて『おままごと』にすぎんっ!」と鼻で笑ってしまった…ということなのです!

ではまた!!

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