No.275 「プロゴルファ‐を目指した日々」(前編①)
お元気ですか?
やっとここにきて春の足音がハッキリと聞こえてくるようになりましたね!
東京では桜が開花し、私が住む栃木県でも、あと1週間もすれば桜が満開になり、「春本番」を迎えることでしょう。
4月は「新年度」ということもあり、お正月に近い気持ちで、満開になった桜を毎年見つめる自分がいます。
「来年もこんな気持ちで桜を見たいなぁ」と思う年もあれば、「来年はもっと気持ち良く桜を眺めたいなぁ」と思う年もあります…。
今年はどんな気持ちで満開の桜を見ることが出来るか分かりませんが、どっちにしても、あの「潔さ」から大切なものに気付かされることは間違いなさそうです。
今月のブログを読んでいただく前に是非ご覧になっていただきたい1つの動画があります。
私も今から26年前、プロゴルファ‐を目指し、人生初の大きな挫折を味わったことがあります。
数日前、偶然にもこの動画を目にして、当時の事を思い出しました。
今となっては自分の人生にとって「貴重な経験」であり、あの挫折がその後の人生に「大きな力」を与えてくれたので「誇り」にさえ思えるようになりましたが、当時はまだ若干二十歳。
隙間だらけの粗末な船は荒波に耐えることなく、いともたやすく沈没したのです。
今回の「プロゴルファ‐を目指した日々」は前編①、②を今月、後編①.②を来月と、2ヶ月に渡り、「夢を追い、挫折を味わい、ボロボロになった3年間」を包み隠さず語り尽くしたいと思います。
ゴルフとの出会いは高校2年の冬でした。
同じクラスの友人が父親の影響でやっていたことがきっかけでした。
とりあえず、良く通っていたスポ‐ツショップで一番安い初心者用のゴルフクラブを2本買いました。
(ドライバ‐と5番アイアン)
型遅れのクラブを選んだので、かなり安くしてもらい、2本でも8000円前後だったと思います。
その2本のゴルフクラブを握り締め、1人でお店近くのゴルフ練習場へ向かいました。
全くの「知識ゼロ状態」だったので、握り方すら分かりませんでした。
中学まで野球をやっていたこともあり、とりあえずバットの握り方で小さなボ‐ルを打ち始めました。
当たり外れはあるのせよ、不思議なくらい良く当たりました。
一番飛距離が出るドライバ‐で打った時にはその気持ち良さに快感を覚えました。
(野球では目一杯引っ叩いても80mぐらいでしたが、簡単に250m以上も飛んでいくのですから!)
中学まで野球、高校ではバレ‐ボ‐ルと、団体競技しか経験がなかった私は、良いも悪いも全て自分に跳ね返る「ゴルフ」という個人競技にのめり込んでいきました。
とは言っても家族でゴルフをやる人間は誰もおらず、家でゴルフの話をしても全く無関心でした。
母は、アスレチックのように山の中でひたすらボ‐ルを打ち続け、山道を上ったり下ったりして、最後に1つだけ開いている穴に1秒でも早く入れるスポ‐ツだと思っていましたから…。(汗)
そんな感じだったのでゴルフ場でプレ‐するなんて現実的ではありませんでした。
(その当時はバブル真っ只中で平日でも2万円近くはかかりました)
最初の3ヶ月ぐらいはこづかいで買った「はじめてのゴルフ」という1冊のレッスン書を読みまくりながら家でひたすら素振りを続けました。
高3になる春休みに入った頃から練習場へ通うようになりました。
そこの支配人がとても良い人で私をスゴく応援してくれました。
ボ‐ルはただ同然で打たせてくれ、春休みの終わりにはコ‐スにまで連れて行ってくれたのです。
2本しか持っていなかった私に、知り合いから使わなくなったお古のセットを貰ってくれました。
初めて見たゴルフ場の広さに私は圧倒されました。
でも、憧れていたゴルフ場でプレ‐していることが嬉しくて仕方がありませんでした。
スコア‐は「112」。支配人は「初ラウンドでこのスコア‐は大したもんだ」と褒めてくれました。
それからも土、日の部活が終わった後はよく練習場に通い、ボ‐ルを打たせてもらいました。
ゴルフ中継も必ず毎週録画をして、大好きだったジャンボ尾崎のプレ‐やスイングをビデオテ‐プがすり減って映りが悪くなるまで何度も何度も観たものです。
(今でもジャンボ尾崎のものまねは自信があります!)
いつの日からか「俺もプロゴルファ‐になりたい!」と思うようになっていました。
夏休みが近づいたある日、その思いを抑えきれずに両親に打ち明けました。
ゴルフにハマっている姿を見ていたにせよ、まさかそんな事を言い出すとは夢にも思っていなかった両親からは猛反対を食らいました。
「デレスケヤロ‐!!夢みたいなこと言ってんじゃねぇっ!!!」
「どんなスポ‐ツだってTVに映って金稼げるのはほんの一握りだけだ!!」
この歳になれば親の言っていたことはよく分かります。
(「この歳」と言えば、ちょうど父が今の私の年齢の時に息子がとんでもない事を言い出したことになります。)
でも、後先考えず「不可能なことはない!」と勢いだけで生きている若造に親の気持ちなど伝わるわけがありません。
「絶対!なってやるよ!!」
何度も話をしましたが、なかなかきちんとした話し合いになることは少なく、その度に家の中はグチャグチャになりました。
時には父と胸ぐらの掴み合いになり、母は涙を流し、兄が必死に止めに入ったこともありました。
父と冷戦状態が続いていたある日の夜、父がこう言いました。
「仕事をしながらお前のこと考えると涙が出るよ…」
私の父はまさに「昭和人間」で口数は少なく、ましてや辛さや苦しさを表に出すことは一切ありませんでした。
その父が言った一言は深く心に突き刺さりました。
「俺は親不孝なことをしようとしているんだろうな…」
子供の頃から、「小学校の先生になる」という夢を持っていたので、そのことをずっと応援していてくれていた母としても、とんでもない夢を抱き始めた息子に心底ガッカリしたと思います…。
でも、その時は親の気持ちより自分の気持ちを最優先させてしまったのです。
前編②に続く ↓