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No.282 子心

お元気ですか?

寒い冬を乗り越える前にひとときのやすらぎを与えてくれるはずの「10月」は、今年に限って言えばまさに「最悪」でした!

雲一つない爽やかな秋晴れの日は数える程度…。

気温が低い日も多く、ダメ押しとばかりに2週連続で台風がやってきました…。

でも過ぎたことは仕方がないっ!

少しずつ冬支度に取り掛かりながら、残りわずか2ヶ月となった2017年をどう過ごしていくかに気持ちを向けていきたいと思います!

父が指折り数えて楽しみにしていた孫の学童野球最後のビッグイベント「県大会(夏季)」。

父が脳梗塞で倒れたのはその4日前の7月18日のことでした…。

朝、実家から連絡が入り、独協医大病院に駆け付けると、意識が朦朧とした父の姿がありました。

運悪く、太い血管が詰まってしまったのです…。

後遺症はかなり酷く、左半身が全く動かないどころか、言語障害、意識障害、記憶障害などが残り、今は駒生にあるリハビリセンターで「言語」、「理学」、「作業」の3つのリハビリを毎日こなしています。

間もなく発症から4ヶ月が経とうとしていますが、症状は一進一退といったところです。

口から食事を摂ることが出来ないので、栄養補給は点滴のみ。

日に日に痩せていく父の姿を目の当たりにするのは正直辛いものがあります。

リハビリの成果は十分ではなく、口から食事を摂ることは今後難しいということで「胃ろう」の手術を受け、直接「胃」に管を通して栄養を摂る方法を選びました。

再び独協に移り、胃ろうの手術を受けるための検査をすると医師から「高い確率で胃がんの疑いがある」との診断…。

まさに「泣きっ面にハチ」とはこのこと。

私自身、「これでお父さんも終わりなのか…」、そんな思いが一瞬頭をよぎりました。

2週間後、詳しい検査の結果が出て、奇跡的に「陰性」ということだったので、一筋の光が見え、ホッと胸を撫でおろしましたが、父は今もリハビリセンターのベッドで寝たきりの状態で過ごしています。

(胃ろうの手術は来週に決まりました)

父を知る人や昔からこのブログを読んで下さっている方はご存知だと思いますが、

2004年の春、梯子から落下し、4m下のアスファルトに叩きつけられ、脊髄損傷により下半身不随の体になってしまい、以後「車イス生活」を余儀なくされました。

その一瞬の出来事でその後の父の人生は大きく変わってしまったです。

入院中、自分の体が不自由になってしまったことに悲観し、「命を絶とうと思ったことは一度や二度ではなかったけど、家族のことを考えるとそれはどうしても出来なかった…」としばらく経ってから話してくれました。

不自由な体になっても決して引きこもることなく、障害者仕様の車を購入し、積極的に外に出掛ける父を私は誇りに思いました。

健常者が走るだけでもクタクタになる2つの大きな坂が待ち構える鹿沼インター通りを2本の腕だけで車イスを漕ぎ続け、往復することを日課にしました。

(ジム通いしている今の私でも1日やればギブアップするようなタフな道のりです)

不自由ながらも、実家の母や兄夫婦のサポートで、どうにか10年以上やってこれました。

でも、今の父の体は、両足はもちろん、左手までも動かなくなり、動くのは右手だけになってしまい、自力で車イスに乗ることさえも出来なくなってしまったのです。

下半身不随になった時、「こんな体になるほど、俺のお父さんはなんか悪いことでもしたのかよっ!」と神様を恨んだあの日を思い出し、ベッドに横たわる父を見つめながらその思いは再び蘇り、更に強いものとなりました。

仕事前、週2回のペースで父に会いに行っています。

父が自分から話すことはありませんが、話しかければなんとか聞き取れる言葉で答えくれます。

リハビリも兼ねて、いろいろな事を話しかけます。

発症した後の記憶はすぐに消えてしまいますが、昔のことは本当によく憶えています。

だから、私が小学生だった頃の「思い出話」をたくさんします。

中学、高校、アメリカ留学の時の話もたくさんします。

担当の主治医からは「いつ容体が急変するか分かりません」と言われているので、言っておきたいことや聞いておきたいことをたくさん話しています。

今までちゃんと言えたことがなかったので、苦労をかけてアメリカに行かせてもらったことに対しても感謝の気持ちを初めて伝えました。(父はただ頷くだけでしたが…)

私は子供の頃からある意味「問題児」だったので、父は小学校の時も中学校の時もPTAの役員をやったり、学童野球のマネージャーをやったり、常に私を見守ってくれました。

(見守ってくれたというよりは「監視」されていたのでしょうけど…《汗》)

社会人になっても20代の頃は夜遊びばかりで、ろくに家にも帰らず、貯金はなく、結婚の「け」の字もありませんでした。

直接、私に言うことはありませんでしたが、母には事あるごとに「心配だ」、「あいつが一人前になるまでは死ねない」と言っていたそうです。

ようやく、32歳で結婚した時には披露宴の最後に会場がドン引きするぐらい号泣しながら挨拶をしていたことを思い出します。

15年間のサラリーマン生活を過ごしましたが、その途中でも何度か「自分で商売をやる」と言い出したことがあり、その度に心配をかけました。

「唐揚げ屋をやる!」と言った時も父は大反対だったようですが、もう家族(妻子)を持つ身だった私には何も言いませんでした。

オープン当初は特に心配だったのでしょう…。

週に何度も買いに来て、それを親戚や知り合いの家に宣伝も兼ねて配り歩いていました。

だから私は1つだけどうしても聞いておきたいことがあったのです。

ある日、目を閉じたままの父にこう聞いてみました。

「お父さん、俺のことまだ心配かい?」

すると、父は両目をゆっくり開いて、「心配ない!」とハッキリ聞き取れる大きな声で答えてくれたのです。

その一言を聞けた私の目からは涙が溢れ出ました。

「もう俺は大丈夫?安心かい?」

涙声で聞くと、父は大きく頷きました。

溢れる涙は「嬉し涙」でもあり、「安堵の涙」でもありました。

父に対して何もしてあげられてないし、大した恩返し(親孝行)も出来ていませんでしたが、父の一言と頷きで「最低限の親孝行は出来たかも…」と今は思っています。

父が車イス生活になった時は、歩いていた頃の写真を見ると切なくなりましたが、今は車イスに自力で乗っていた頃の写真を見ると切なくなります…。

この先、どうなるかは全く分かりませんが、みんなで力を合わせて父をサポートし、父の苦悩を少しでも和らげてあげられたらと思っています。

どんな姿になろうとも、十分な会話が出来なくても「ただ生きていてくれるだけでいい

子が親を思う「子心」というものは、親が子を思う「親心」に負けないくらい強いものがあると私は思います。

親孝行 したい時には 親はなし

みなさんも「限りある親との時間」を大切に過ごして下さい!

ではまた!!


次回更新は11月30日(木)です!

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