top of page
  • 執筆者の写真店長

No.65 被災地に立つ(前編)



お元気ですか?

この先1週間の天気はグズグズ、政治もグズグズですね…。 天気は梅雨だから仕方がないにしても、政治はいつでも真夏の太陽のように燦々と輝き、被災地に光りを降り注いでもらいたいものです!

先々週のブログで宣言させていただきましたが、昨日の定休日を利用して宮城県の南三陸町に行ってきました。

皆様にご協力いただきました募金箱(総額¥30,447)+私個人分を助手席に乗せて車に乗り込み、今年で14歳とかなり高齢になる我が愛車に「頑張って走ってくれよ!」と声を掛けAM8:00に家を出ました。

鹿沼I.C(東北道)から高速に乗り、途中サービスエリアで休憩を取りながらAM11:30ぐらいに富谷ジャンクション~仙台北部道路~利府ジャンクション~三陸自動車道と進んで行きました。最終目的地は南三陸町でしたが、398号線を走りながら石巻市→女川町を通り北上していきました。

石巻市に入る直前は「どんな光景が目に飛び込んでくるのだろう」とハンドルを握る手が少し汗ばみました。

そして市内に入ってみると…私が通った398号線は海から結構入った道路でしたが、道路の両サイドに建っているお店や民家は1階部分が津波に襲われていました。

2階部分はしっかり残っているのですが、1階部分はダルマ落としを食らったように柱しかなく空洞になっていたのです。グシャグシャに潰れた車も数多く放置されていました。

そのまま車を走らせ女川町に入りました。女川町に入るとかなり海岸線に近いところを走ったので悲惨な光景が目に飛び込んできました。

津波に痛めつけられた鉄筋コンクリートの建物がいくつか残っているだけであとは何もなくあるのは瓦礫だけ。女川町でも車からは下りずに通り過ぎましたが、アスファルトも津波の威力で剥がされているので運転していてかなりの衝撃がありました。

そして目的地の南三陸町までもう少しというところまで行ったのですが、北上川に架かる橋が通行止めになっていてかなりの距離を迂回しなくてはなりませんでした。仕方なく迂回をしてしばらく走り、再び南三陸町に近づくとまたもや通行止め。今度は崖崩れによるものでした。再び迂回をしようとUターンした時、突然カーナビが動かなくなってしまいました。

方向音痴の私にとってカーナビだけが頼りでしたが全く動かない…。

でも、ここまで来て諦めるわけにはいかないので家の向きを見ながら方角を確かめ、看板を見ながらやっとの思いで南三陸町に入りました。

内陸→海岸に向かって走ったのですが…「こんなところにまで津波が来たのか!」と驚くほどのところに瓦礫がありました。

南三陸町を出る時に距離を測ると海から約3キロのところまで津波が来ていました。

山道を抜けるとパッと景色が広がりました。

でも…見渡す限り瓦礫の山。完全に町が無くなっていました。

普通、街並みを眺めると屋根の色や壁の色、看板や木々などのたくさんの色で鮮やかに見えますが違いました。

町全体が茶色なのです…。

海岸付近まで車を走らせ道端に車を停め、そこで初めて被災地に立ちました。

歩きながら間近で見る無数の瓦礫、風の匂い、そして70名以上の犠牲者が出た志津川病院を見上げると4階まで津波が襲ったことがハッキリ分かりました。「あの高さまで津波が襲ったのか」と思うとそこに立っているのが恐くなりました。

それから少し歩いた先にTVや新聞で見たことのある建物が目に飛び込んできました。

薄ら覚えだったので近づき、建物の玄関と思われる部分に残されたプレートを確認するとこう刻まれておりました。

防 災 対 策 庁 舎

あの悲劇が起こった建物だったのです…。 (動画)

後編に続く

閲覧数:0回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page