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No.66 被災地に立つ(後編)



お元気ですか?

いよいよ梅雨シーズンも本番を迎えますね。気がつけばもう6月も半分が過ぎました。来月になれば「梅雨明け宣言」が出され、本格的な夏到来となるわけですが、例年の私なら今頃は「暑い夏よ!早く来い!!」って気持ちでいっぱいなのですが…。

今年に限っては「太陽さん!暑さはほどほどにしてね!!」って感じです…。

なんとしても計画停電は避けて通りたいというのが本音です。

寒さは服を重ね着したり、布団にくるまったりすればなんとか凌げますが暑さだけは…。

冷夏では作物などに影響が出てしまうので困りますが、昨年のような猛暑にならないことをただただ願うばかりの今日この頃です!

先週に引き続き「被災地に立つ(後編)」をお送りさせていただきます。

遠藤未希さん(24歳)が犠牲となった防災対策庁舎。鉄骨がむき出しになったその姿に津波の威力、そして悲惨さをまざまざと見せつけられました。

遠藤さんは迫り来る津波の恐怖と闘い、最後の最後まで声を震わせながらアナウンスをしていたそうです…。

その後も見渡す限り瓦礫だらけの光景をしばらく見つめ、再び車に乗りこみ5月26日のブログでリンクさせていただきました2つのYouTube動画が撮影された場所に行きました。

志津川高校と志津川中学校です。

車から降り、動画の残像が頭をよぎりながら見る光景は2か所とも想像を遥かに超えたものでした。

私は起こる全ての事に原因があり、理由があり、意味があると思って生きていますが、その光景を見た時には原因だけしか分かりませんでした。

眺めながら「ここで1,000人以上もの方々が命を奪われたのか」と思うと人目をはばからず目を閉じ、手を合わせると犠牲者の方々に対しお線香1本、花1輪も持って来なかった自分自身に不甲斐なさを感じました。 せっかく現地まで来たというのに…。

その後、自己嫌悪に陥りながらも志津川小学校へ向かいました。

アクセルを踏み込み、急な上り道を進んでいくと小学校に到着しました。

到着した時はちょうど下校集会が行われており、校舎の前にはたくさんの子供たちが並んでいました。

先生の話が終わると子供たちは列になり、避難所ごとに用意された7,8台の臨時スクールバスに次々と乗り込んでいきました。

バスに乗り込む子供たちの表情は皆が皆、痛いくらいの笑顔でした。

学校から次々と出て行くバスに向ってずっと笑顔で手を振って見送りましたが、その時の子供たちの表情はさっきとは一変して「このおっさん誰?」みたいな不思議そうな顔で見つめられてしまいました。(それでもひるまず最後の1台が通り過ぎるまで手を振り続けましたが…)

それから先生と思われる方に礼儀として名刺を差し出し、「栃木県で唐揚げ屋をやっている者です。お店に募金箱を設置させていただき集まったお金をお届けに参りました」と言うと「こういうのは初めての事ですが、もしかすると学校で受け取ることは出来ないかもしれません。確認させていただきますので職員室の方へお回り下さい」との事で募金箱を抱えながら職員室へ入ると奥の応接スペースへ案内されました。

その後は教頭先生が対応してくださったのですが、やはり教育委員会を通さないとダメだということが分かりました。役場や教育委員会の建物も津波で流されてしまったので津波の被害がなかった地域のベイサイドアリーナという施設のそばに仮設の建物があると聞き、コピーしていただいた地図をいただきました。

少しの間、教頭先生から子供たちの現状をお聞きすることが出来たのですが、震災前の志津川小学校には450名の子供たちが通っていたそうです。でも現在は260名。多くの子供たちは隣町などに転校してしまったとの事でした。

ほとんどの子供は無事でしたが、小学1年生の男の子1人だけ家族が迎えにきた車に乗り、避難する途中でお父さんと一緒に津波に襲われてしまったそうです。

片親を亡くした子供は多く、両親を亡くした子供もいると聞きました。

アポも取らず突然お伺いしてしまった非礼を詫び職員室を出ようとすると

教頭先生から「遠いところお越しいただき本当に有難うございました。感謝します」といつまでも深々と頭を下げる姿を見て目頭が熱くなりました。

志津川小学校を出てすぐにベイサイドアリーナへ向かいました。

到着するとベイサイドアリーナは私が住む鹿沼市で言うとフォレストアリーナのような大きな運動施設でそこが避難所となっておりました。

そのすぐ横のテニスコートの上に仮設の建物が連なっており、その一角に教育委員会はありました。

中に入ると「湯澤さんですね!」と声を掛けられました。志津川小の教頭先生が電話を入れて下さっていたことが分かりました。

担当の方が「教育委員会としてもお預かりすることは出来ますが、南三陸町としても義捐金をお預かりする部署がありますのでそちらに預けられてはいかがですか?」と言われました。聞けば、隣り町や近隣にお住まいの方々からは南三陸町に義援金が直接届けられているとの事でした。

その部署に案内され、担当の方から「本当に有難うございます。いただいた義捐金は商店街の復興や施設に対してなど使用用途を確認させていただいているのですがご希望はございますか?」と聞かれ、私は「子供たちのためにお役立ていただければ有難いです」と答えました。

行き当たりばったりなところもあったので、無事に義捐金を渡せたことにホッと胸を撫で下ろし車に乗り込みました。

そして、車を走らせながら茶一色になってしまった町全体をもう1度見渡し、しっかりと目に焼きつけ南三陸町を後にしました。

いくつかのトラブルがありましたが、PM10:00過ぎに無事自宅へ辿り着きました。

好奇心だけではとてもそこに立っていられないほどの光景が数多く目に飛び込み、「義捐金を届けに来たんだ」という思いだけが支えとなった今回の被災地訪問でしたが、私にとって「東日本大震災」をしっかりと記憶に残すためにはとても大切な780kmの道のりでした。

ではまた!!

・写真 左…志津川高校にて

・写真中央…志津川中学校にて

・写真 右…志津川小学校の教頭先生にいただいた地図

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