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No.73 我が母(前編)

お元気ですか?

夏ということもあり、さまざまな種目のスポーツで熱戦が繰り広げられていますね!

高校野球の栃木大会は連日の雨で決勝戦が延期続きになりましたが、今年は作新学院が甲子園の切符を手に入れました!≪初戦の相手は福井商*大会3日目(8日)第1試合≫

学童野球の県大会も新聞紙上を賑わせ、第3位になった南摩スポーツの監督を務めているのは高校時代からの親友なのですが、大会後に本人から電話で報告を受けた時は自分の事のように嬉しく思いました! (昨日の定休日を利用してお祝い会をやりました!)

さて、長丁場でお送りさせていただいております「両親」についてのブログですが、今週は「我が母」と題して語らせていただきたいと思います!

母は昭和22年、宇都宮市(鐺山町)に生まれ、4人兄弟の長女として育ちました。

23歳の時に結婚。長男の元に嫁いだということもあり、炊事・洗濯・子育てはもちろんのこと、3人いた年寄りの世話もこなさなくてはならない超ハードな日々を送っていました。

ある日、庭先で洗濯をしていたところ、思いがけなく実家からお父さんが娘の顔を見にやってきた時は、顔を見るなり何故か涙が止まらなかったそうです。

でも、私が記憶している母はどんな時でも人前では笑顔を絶やさない人でした。

まさに「天真爛漫」という言葉がピッタリで、母がいるだけで家の中がパーッと明るくなりました。 ちなみに父は「豪放磊落」の言葉がピッタリなのですが、やはり私は二人の子であるので父と母を足して2で割ったような性格をしています。

私が子供の頃の母はいつも畑仕事をしていました。学校から帰ってきて母を探しに行くと必ず家の前の畑か、裏の田んぼのどちらかにいました。前かがみになり作業をしているので私の事には気付かず、足音立てずゆっくり近づいてはよく驚かせたものです。

母との思い出ではたくさんありますが、どれも真綿で包まれたような柔らかく温かいものばかりです。

父が厳しかったということもあり、母に本気で怒られたという記憶はほとんどありません。

父に怒られて泣きじゃくっている私に「もう泣くな。もう泣くな。お父さんは可愛いから怒ってるんだよ。心配してるから怒ってるんだよ」と慰めてくれたものです。

でも、1度だけ母が激怒したことがあります…。

あれは…小学校時代の夏休みでした。お昼になったので遊びをやめて家に帰ると母はラーメンを作っているところでした。

私と兄、そして母の分がテーブルに並べられ、「いただきまーす!」と威勢よく食べ始めました。中に入っている鶏肉をモグモグ食べていた時に悪知恵が働いてしまったのです。

母が台所へ行っている間に部屋から粘土を持ち出し、小さくちぎって母のラーメンの中に入れてみました。

思った通りスープに馴染んだ粘土は鶏肉そっくりに見えたのです!

台所から戻った母は何も知らずに食べ始めました。スープをすすり…麺を食べ…ついに粘土で作った鶏肉を口に入れました。

2、3回モグモグしたと思ったら、しかめっ面で粘土をティシュに出しました。

その姿を見た私は大爆笑!兄は複雑な表情をしていました。

私がタネ明かしをすると母は「なんてことしてんのぉ!!!」と大激怒。

結局、そのラーメン自体食べられずに捨ててしまいました。

腹が減っていたということもあったのか、その時だけは母の怒りがなかなか収まらなかったのを憶えています。

母は私のいたずらではあったにせよ、粘土で作った鶏肉を食べている姿が絵になるぐらいとてもおっちょこちょいなのです。

今まで築き上げた伝説は数知れず!

1つだけご紹介すると…

私が自分の部屋でテレビを観ていると、母が物凄い勢いでトイレに駆け込みました。トイレは私の部屋のすぐ横だったのですが、しばらくするとトイレから母の笑い声が聞こえてきました。「なんで便所で笑ってんだ?」と不思議に思っていましたが、その笑い声はなかなか収まりません。

トイレから出てきた母に「どうしたの?」と聞くと母はまだ笑いながら「便座を下すのを忘れて座ったらお尻がズボッと便器にはまって動けなくなっちゃって…」とまた自分に大爆笑!

ってことは便器にはまったままの姿で笑っていたということか…。

それを想像して私も大爆笑!

こんなことの連続だったので母の存在は私にとってまさに「太陽」そのものでした。

後編につづく…

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